2017年 特別企画展展示風景

 

2017年 特別企画展「辰五郎と滋の見た 明治の衣生活大転換」展示風景

会場の様子を一部ご紹介します。

第1章 洋装のはじまり

男性の洋装

開国によってもたらされた洋服は、和服に比べて機能性に優れていることから、まず軍服に取り入れられました。明治5(1872)年には国家の礼服に洋服が採用され、洋服の重要性は決定的なものになります。このように、日本における洋装化は、男性の公的な場面での服装に始まります。

女性の洋装

女性の洋装は、鹿鳴館時代(明治16~20年)に社交の場で着るドレスとして導入されます。欧米の流行にならい、「バスル・スタイル」のドレスが取り入れられます。腰当てで後ろ腰をふくらませるのが特徴です。洋服は非常に高価だったため、着用はごく一部の人に限られ、一般の女性は洋服にほとんど無縁の生活を送りました。

リボン見本帳

帽子等の流行にともなって需要が増えた「リボン」。明治27年、国内初のリボン工場が現在の東京都台東区谷中に設立されました。2013年に惜しまれつつ解体された「のこぎり屋根」の工場建物跡から、リボンの見本帳が発見されました。見本帳には、参考品として収集されたフランス産のリボン、谷中で製造されたリボンがおさめられています。(リボン見本帳は、谷中のこ屋根会 蔵)

第2章 和と洋のはざまで

明治の衣生活を反映した裁縫雛形

裁縫雛形は、明治から昭和にかけて本学の教育課程のなかで製作された衣服等のミニチュアです。裁縫雛形の中から、和裁の技術で仕立てられるように工夫された子供の洋服や、新しい職業である「弁護士」や「看護婦」の服など、明治時代に特徴的なものを紹介します。

改良服

改良服は、和服の不便なところ(長い袖が邪魔になる。帯が腹部を圧迫する。すそがせまく動きにくい)を改良した服のこと。明治時代には、医者や教育者、美術家らが色々な「改良服」を提唱します。渡邉辰五郎もその一人で、本学の教員や優秀な学生が辰五郎考案の改良服を身につけました。(右の改良服は女子美術大学歴史資料室 蔵)

第3章 和服の近代化

明治時代の着物

明治時代前期の着物は、地味な色の着物が主流でした。特に鼠色は色味や明るさの異なる様々なバリエーションが見られます。化学染料が登場する中期以降は、色鮮やかな地色の着物が流行しました。

外衣

長らく日本人がなじんできた和服にも、近代的な生活にあった合理化が起きます。例えば、着物の上に着る「外衣」は、外出の機会が増えたことや、着物を重ね着する習慣が薄れたことにより、多様化しました。

展示室の外では・・・

着装体験

渡邉辰五郎が考案した「改良服」のレプリカの着装体験ができます。
※日時等の詳細は企画展関連イベントをご覧ください。

撮影コーナー

辰五郎と滋と写真を撮ることができます。記念に一枚いかがでしょうか?