保育科 榎本眞実准教授の記事が朝日新聞に掲載されました!

榎本先生の記事が朝日新聞2月14日(私の視点)に掲載されました。
以下に記事を紹介します。
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(私の視点)幼児教育で「役に立つ喜び」 「受け止められる」体験を

 「オレは役に立っていない」。筆者が幼稚園の担任をしていた何十年も前、ある5歳児がつぶやいた言葉だ。今も忘れることができない。
 その年の学芸会、劇の物語を子どもたちと考えることにした。物語は動物たちに手紙が届くことから始まる。次々に困難が起こるが、動物たちが解決策を思いついたり、それぞれの力を発揮したりしながら宝物が見つかる、というものだった。子どもたち一人一人の出番やせりふが同じ程度にあるようにも配慮した。ところが、冒頭の言葉である。もちろんこの5歳児にも出番やせりふはあったが、宝物探しに役に立っていたかといえば、そうではなかった。
 筆者は5歳児が「役に立たない」という概念をもっていることに衝撃を受けた。脚光を浴びたい気持ちもあっただろう。しかし、それを声高に主張したわけではなく、打ちひしがれたようにつぶやいたのだ。おそらく、自身がいる意味を見いだせない切なさや、力が発揮できないもどかしさが込められていたに違いない。出番やせりふがあればよいわけではなかった。物語を修整したことは言うまでもないが、申し訳なく今でも悔やみきれない思いでいる。
 現行の「幼稚園教育要領」は、「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」を10項目示している。その一つに「社会生活との関わり」があり、「人との様々な関わり方に気付き、相手の気持ちを考えて関わり、自分が役に立つ喜びを感じ、地域に親しみをもつようになる」と述べられている。
 この「役に立つ喜び」とは子どもにとってどういうことだろう。例えば「自分の力を発揮したことで相手が喜ぶ」「困っている相手を助けることができてうれしい」などと考えられる。つまり、相手との関係が結ばれ安定し自信をもつ、満足感や達成感を感じる、ということだろう。
 「役に立つ喜び」のある一方、「役に立たない」つらさや自信のなさを感じる若い世代がいる。このことが自己肯定感の低さにつながるとも言われる。まずは子どもと関わる大人が「一人一人がかけがえのない存在であること」をしっかり心に刻みたい。そしてこのメッセージを子どもたちに折に触れ、伝えていく。
 信じ難い「不適切保育」が次々に明るみに出る昨今、改めてこのことを捉え直す必要があるだろう。自身の存在や行為を相手に受け止められるという小さな体験を幼い頃からたくさん積み重ねる。これが、揺らぐことのない「役に立つ喜び」につながっていくのではないだろうか。
 (えのもとまみ 東京家政大学短期大学部准教授)

   
     
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