《関根ゼミ》学外授業報告(環境文学と映画『もののけ姫』)

関根ゼミ(アメリカ文学研究)

今年度の関根ゼミでは「自然」に関するアメリカ詩を毎回1作品読み、人と自然との関係について考えています。
詩を読むことで身につく力は、言葉を分析する力、様々な視点で考える力、そして、その考えを論理的にまとめて伝える力。
ほかにもあります。
わたしたちは何より、詩の言葉を紡ぐ詩人の想像力を通して、その言葉が生みだされた文化や歴史をも学ぶことができます。
今回「自然環境と人間の関係のあり方」について考えを深めるために、日本におけるネイチャーライティング/環境文学研究の第一人者である野田研一氏(アメリカ文学/文化)の講演会「環境文学のアプローチ:映画『もののけ姫』に学ぶ」(於:ウェスタ川越)に、ゼミの一環としてゼミ生(4年生)2名と参加させて頂きました。
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《以下、ゼミ生の報告です》
 この講演会は二部構成になっており、第一部は映画『もののけ姫』を扱い、第二部では石牟礼道子の作品から自然について考え、特に、私は第一部へ興味を持った。
 第一部が開始される前に、キーワードが四つ挙げられた。それは、「自然と文化」「他者性」「主体/客体」「自然の沈黙」である。特に、私がこの中で関心を抱いたのは、「自然の沈黙」である。このキーワードは、クリストファー・マニスの『自然と沈黙―思想史のなかのエコクリティシズム』にある「私たちの文化においては、自然は沈黙しているのである。」という言葉からきている。自然が「沈黙」していることは、自然から「主体」や「他者性」というものが奪われている深刻な状況であると考えられている。
 映画『もののけ姫』は日本を代表するアニメーションであるが、野生の自然が強調されている。それは非日本的であり、アメリカ的印象があるのだ。私が幼い頃に観ていたこの作品が、このようにも考えられるのだと非常に面白いと感じた。現在、私は卒業論文を執筆するためにアメリカを代表する詩人エミリー・ディキンソンの作品を読んでいる。その際、自然の描写を深く読み進めていくために、彼女の考える自然にアメリカ的印象を強く感じるのかどうかといった観点も踏まえながら読んでいきたいと改めて感じた。
 加えて、『もののけ姫』に出てくる大型動物は人語を話すが、小型の動物は人語をさほど話さないという言語空間についての考えも興味深い。大型動物が人語を話すのは、主体性を強く持つからであり、小型の動物は人間の家畜になりうることから主体性を奪われているからではないかということだ。このようなことが作品で描かれているとすれば、実際に私たちの周りに存在している<自然>には主体性があり、私たち人間が寄り添えば「自然の沈黙」は破れるのではないだろうか。(新井香菜)

 この講演会で特に印象に残ったのは、自然が「他者」としての役割を果たしているからこそメッセージ性を持っているということだ。実際、私は道端に健気に咲いている花を見て、自分も頑張らねばと励ましを感じたり、生き方のヒントを得たりした時があったので、自然を沈黙させてしまうのは、人間だから気づける事を減らしてしまい、勿体無い事だと感じた。
 石牟礼道子さんの、「自然が動くから人も動く」という自然を中心とした世界の見方や、自然がその土地の時代の違う人を結びつける「形見」であるという考え方を知って、自然をより身近な存在に感じることができた。
 この講演会を通して、本来は人間と同じように主体性を持つ自然を尊重し、「他者化」することで、「自然の沈黙」を破る事ができるのではないだろうかと思った。(大山美優)
   
     
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